人と比べてしまうのはなぜ?比較して落ち込む心との付き合い方

SNSを開けば、楽しそうに旅行している人がいる。

仕事で活躍している人。
結婚した人。
夢を叶えた人。
自分らしく生きているように見える人。

そんな姿を見て、

「それに比べて、私は……」

と、急に自分が小さく感じてしまったことはないでしょうか。

比べたくないと思っているのに、気づけば誰かと自分を比べている。そして、落ち込んだり、焦ったり、自信をなくしたりする。

そんな自分を見て、「人と比べるのをやめたい」と思うこともあるかもしれません。

でも、人と比べること自体は、決して珍しいことではありません。

私たちは、ときに他者との違いを見ることで、自分の立ち位置や価値観、望んでいるものを知ろうとします。

大切なのは、誰とも比べない人になることではなく、比較した結果、自分まで否定してしまわないこと。

この記事では、人と比べてしまう理由と、比較して落ち込んだときの心との付き合い方について考えていきます。

目次

人と比べてしまうのはなぜ?

人は他者との比較から自分を知ることがある

心理学には「社会的比較」という考え方があります。

私たちは、自分の能力や考え方、置かれている状況などを理解するとき、他者をひとつの基準として見ることがあります。

たとえば、

「あの人は大勢の前で話すのが得意だけれど、私は少人数で話すほうが好きだな」

「あんな働き方もあるんだ。私はもっと自由な働き方をしたいかもしれない」

「同じことを始めた人を見て、自分ももう少し頑張ってみようと思った」

というように、比較することで初めて自分について気づくこともあります。

そのため、人と比べることそのものが悪いわけではありません。

比較は、自分の現在地を確認したり、自分が大切にしているものを知ったりするための材料にもなります。

自分と関係のある相手ほど気になりやすい

比較する相手は、誰でも同じというわけではありません。

自分と年齢や立場、仕事、環境などが近かったり、自分にとって重要な分野で活躍していたりする人ほど、気になることがあります。

たとえば、

同年代の友人が結婚した。
同期が自分より先に昇進した。
同じ時期に何かを始めた人が成功した。

そんなとき、

「同じくらいだったはずなのに」

「私にもできたかもしれないのに」

と感じることがあります。

自分との共通点があったり、自分にとって大切な分野だったりするからこそ、その違いが強く意識されることがあるのです。

比較は「自分も頑張ろう」という力になることもある

自分より優れているように見える人と比べることを「上方比較」と呼ぶことがあります。

上方比較は、必ずしも悪いものではありません。

「あの人みたいになりたい」

「私にもできるかもしれない」

と感じれば、目標やモチベーションにつながることもあります。

一方で、

「あの人にはできるのに、私にはできない」

「どうせ私は追いつけない」

と感じれば、落ち込みや劣等感につながることもあります。

つまり、問題なのは単純に「人と比べること」ではありません。

比較したときに、その違いを自分がどう受け止めるかによって、心への影響は変わります。

なぜ人と比べると落ち込んでしまうの?

比較が「違い」ではなく「優劣」になってしまうから

本来、比較は違いを知るだけのものです。

「あの人はこう。私はこう。」

それだけで終わることもできます。

ところが、

「あの人はできている」

「私はできていない」

「だから、あの人のほうが上」

「私はダメだ」

と、いつの間にか比較が自分自身への評価に変わってしまうことがあります。

仕事がうまくいっていないことと、人として価値がないことは同じではありません。

結婚していないことも、収入が少ないことも、夢がまだ叶っていないことも、その人自身の価値を決めるものではありません。

それでも、比較によって苦しくなっているときほど、ひとつの違いから、

「だから私はダメなんだ」

という大きな結論を出してしまうことがあります。

相手の「あるもの」と自分の「ないもの」を比べてしまうから

人と比べているとき、必ずしも公平な条件で比較しているとは限りません。

相手が持っているものと、自分が持っていないもの。

相手ができていることと、自分ができていないこと。

そんな部分ばかりを取り出して比べてしまうことがあります。

一方で、

自分がこれまで頑張ってきたこと。
以前よりできるようになったこと。
自分だからこそ持っているもの。

そうした部分は、見えなくなってしまいがちです。

比較して苦しくなったときは、

「私は今、何と何を比べているんだろう?」

と考えてみると、少し違った見え方ができるかもしれません。

「こうあるべき」という基準と比べていることもある

私たちが比べているのは、目の前の誰かだけではありません。

「30歳なら、これくらいできているべき」

「普通なら結婚しているはず」

「同年代ならもっと稼いでいるはず」

「この年齢なら将来が決まっているべき」

そんな「普通」や「こうあるべき」と、自分を比べていることもあります。

でも、その基準は本当に自分が望んでいるものでしょうか。

周囲の人や社会の価値観を、いつの間にか自分の人生の正解だと思い込んでいるだけかもしれません。

誰かにとっての幸せと、自分にとっての幸せは同じとは限りません。

SNSを見ると人と比べてしまうのはなぜ?

SNSに映っているのは、その人の人生の一部分

SNSでは、旅行や仕事の成功、きれいな部屋、楽しそうな食事、家族との幸せな時間など、その人の印象的な瞬間に触れる機会が多くあります。

もちろん、そこに映っている幸せが嘘だというわけではありません。

ただ、それはその人の人生の一部分です。

その人にも、画面には映っていない悩みや迷い、何もしたくない日や、うまくいかなかった時間があるかもしれません。

一方で、自分については、

失敗したこと。
不安に思っていること。
人には言えない悩み。
誰にも見せていない弱さ。

そんな部分まで全部知っています。

そのためSNSでは、他人の見えている一部分と、自分のさまざまな側面を比べてしまうことがあります。

SNS上の社会的比較と、羨望や抑うつなどとの関連を報告した研究もあります。ただし、SNSの影響はすべての人に同じではなく、使い方や個人差によっても異なります。

SNSを見て苦しくなるなら距離を調整していい

SNSそのものが悪いわけではありません。

新しい情報を知ったり、人とつながったり、励まされたりすることもあります。

ただ、SNSを開くたびに気持ちが沈むのであれば、少し距離を調整してみてもいいでしょう。

見る時間を減らす。
通知を切る。
寝る前は見ない。
気持ちがざわつくアカウントを一時的に見ない。

完全にやめる必要はありません。

「今の自分にとって、どのくらいの距離が心地いいだろう?」

と考えてみることが大切です。

人と比べて落ち込んだときの心との付き合い方

まず「今、比べている」と気づく

比較して苦しくなったとき、

「また人と比べてる」

「こんなことで嫉妬するなんて嫌だ」

と、さらに自分を責めてしまうことがあります。

でも、

人と比べて落ち込む
↓
比べてしまった自分を責める
↓
さらに自分が嫌になる

となってしまえば、苦しさが増えてしまいます。

まずは、

「今、私はこの人と自分を比べているんだな」

と気づくだけでも構いません。

比較してしまったことを裁くのではなく、自分の心で何が起きているのかを見る。

それだけでも、感情に少し距離を取れることがあります。

「羨ましい」の奥にある気持ちを見てみる

誰かを羨ましいと思ったとき、その感情を無理に消そうとしなくても大丈夫です。

羨ましさの背景には、ときに自分が大切にしているものや、望んでいるものが隠れていることがあります。

自由に働いている人が羨ましい。

もしかすると、自分ももっと自由な働き方を求めているのかもしれません。

仲の良い夫婦を見ると苦しくなる。

もしかすると、自分も安心できるパートナーシップを大切にしたいのかもしれません。

夢を叶えた人を見ると焦る。

もしかすると、自分にも挑戦してみたいことがあるのかもしれません。

もちろん、羨ましさが必ず「本当の望み」を教えてくれるとは限りません。

それでも、

「私は何が羨ましかったんだろう?」

と問いかけることで、自分の価値観に気づくきっかけになることがあります。

他人との比較で苦しくなったら、過去の自分にも目を向ける

他人との比較ばかりで苦しくなっているときは、少し視点を変えて、過去の自分にも目を向けてみましょう。

一年前の自分。
半年前の自分。
一ヶ月前の自分。

「あの頃より少しできるようになったことはないかな」

「以前なら悩んでいたことを、今は少し乗り越えられていないかな」

大きな成長でなくても構いません。

前より自分の気持ちを言えるようになった。

苦手な人と少し距離を取れるようになった。

疲れたときに休めるようになった。

失敗しても、以前ほど自分を責めなくなった。

そんな小さな変化も、自分が歩いてきた証です。

「自分にあるもの」にも目を向ける

比較して苦しくなっているとき、心は「自分にないもの」を探しやすくなります。

だからこそ、ときには「すでにあるもの」にも目を向けてみましょう。

大切にしてくれる人がいる。
安心して眠れる場所がある。
好きなものがある。
昨日より少しできるようになったことがある。
今日も一日を生きている。

これは、

「恵まれているんだから不満を言ってはいけない」

ということではありません。

ないものだけを見て、自分の人生全体まで「足りない」と決めつけないためです。

今の自分にも、すでに持っているものがあります。

人と比べることを完全にやめなくてもいい

「もう人と比べないようにしよう」

そう決めても、きっとまた誰かと比べる日はあります。

でも、それでいいのだと思います。

人と比べることは、自分を知るひとつの方法でもあります。

大切なのは、比較した結果、

「あの人はすごい。だから私はダメ」

と、自分の価値まで否定しないこと。

「あの人には、あの人の人生がある」

「私には、私の人生がある」

と、自分の場所に戻ってくることです。

誰かが先に進んでいるように見えても、自分が遅れているとは限りません。

人生には、全員が同じ場所を目指すゴールも、同じ速度で進まなければならないルールもありません。

比較してしまったら、自分の心に戻ってこよう

誰かの人生がまぶしく見える日はあります。

そんなとき、無理に「羨ましくない」と思おうとしなくても大丈夫です。

ただ、

「私は今、何に心が動いたんだろう?」

「本当は何を大切にしたいんだろう?」

と、自分の内側に少し目を向けてみてください。

比較した相手ばかりを見るのではなく、比較したことで動いた自分の心を見る。

そうすれば、比較は自分を傷つけるだけのものではなく、自分自身を知るきっかけになることがあります。

誰かより遅くてもいい。
誰かと違っていてもいい。
途中で進む方向を変えてもいい。

変わってもいい。迷ってもいい。遠回りしてもいい。

誰かの人生を基準にするのではなく、自分が心地よいと思える歩幅で。

あなたの人生は、あなたのペースで歩いていけばいいのです。

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